白梅之塔とひめゆりの塔に巡礼参りをして来ました

白梅之塔とひめゆりの塔に巡礼参りをして来ました

白梅之塔とひめゆりの塔に巡礼参りをして来ました

沖縄県立第二高等女学校の生徒からなる学徒隊の最後の場所である。八重瀬岳の第24師団第1野戦病院解散後、16人の学徒がたどり着いたのが、上の壕(眞山之塔裏)、下の壕(白梅之塔側)と呼ばれた真栄里の自然壕である。上の壕は食糧弾薬倉庫、下の壕は傷病兵の看護場所で、学徒らは負傷兵の手当てを手伝った。6月21日に下の壕が、翌22日に上の壕が米軍の激しい攻撃を受けた。白梅之塔には学校関係者149人が合祀されている。敷地内には国吉住民が建立した「萬魂之塔」がある。

ひめゆり学徒隊という名称は動員当時から存在したが(ただしひらがな書きが用いられるようになったのは上述の通り戦後になってから)、兵士らにとっては所属校がどこであるかはほとんど問題にならなかったので、実際にはこの呼称はほとんど用いられず、学生さん、学徒、などと呼ばれていたという。なお、ひめゆり学徒隊以外にも他の学校の生徒を集めて作られた学徒隊は別にあり、それぞれ所属校にちなんだ名称がついていた(県立首里高等女学校のずゐせん学徒隊などが有名)。これらの学徒隊もほぼ同様の運命をたどり、それぞれの名にちなんだ慰霊碑が建てられている。なお、併設されているひめゆり平和祈念資料館開館20周年を記念して2009年(平成21年)6月23日(沖縄慰霊の日)に全面改修され、これまで記載漏れがあった生徒の名前が新たに記された。

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