ブラジロー♪平和祈念公園#沖縄旅行 #美ら海水族館 #戦争#ひめゆり

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沖縄戦跡国定公園(おきなわせんせきこくていこうえん)は、沖縄県の沖縄本島南端部、糸満市と島尻郡八重瀬町にまたがる、第二次世界大戦(沖縄戦)の戦跡と自然景観を有する国定公園である。

概要

沖縄全戦没者追悼式(2023年)
沖縄戦跡国定公園の指定区域の面積は5,059ha(陸域3,127ha、海域1,932ha)[1]。戦跡としては唯一の国定公園である。

1960年代にアメリカ統治下の沖縄への渡航が容易となったことから、折からの観光ブームのひとつとして日本本土から多数の慰霊団が訪れるようになり、モニュメントの建設を求める声が上がるようになった。1961年11月に日本国和歌山県が「紀乃國之塔」を建設したことを皮切りとして、沖縄本島南部に日本本土の府県が競い合うように慰霊塔を建てる慰霊塔ブームとも呼べる現象が起きた[2]。1965年(昭和40年)、琉球政府立公園に指定され、1972年(昭和47年)の沖縄返還に伴い、国定公園に指定された。

公園内の戦跡は沖縄戦最大の激戦地であり、終焉地である。1945年(昭和20年)5月、アメリカ軍の攻撃により、首里(那覇市)にあった日本軍司令部は、この沖縄本島南端部(島尻)に撤退した。狭い島尻には、南下侵攻するアメリカ軍、避難してきた一般住民と撤退・抗戦する日本軍の軍人が混在し、パニック状態に陥った。結果、狭隘な地形に敵味方が入り乱れる大混戦となり、6月18日にはアメリカ軍沖縄方面最高司令官サイモン・B・バックナー中将も戦線視察中の真栄里で日本軍の砲撃を受けて致命傷を負い、戦死している。日本軍による組織的抵抗は、6月23日に司令官・牛島満中将が摩文仁の司令部壕で自決したことにより終了したが、アメリカ軍は翌7月初めまで掃討戦を続けた。

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