15(南部戦跡)ひめゆり学徒隊慰霊祭

15(南部戦跡)ひめゆり学徒隊慰霊祭

2023年6月23日、最初に向かった先は沖縄県糸満市にあるひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館だ。この日は、沖縄戦で亡くなった人々を追悼する式典や慰霊祭が各地で開かれる。併設された資料館も訪れ、開催された慰霊祭を取材した。

 今から78年前の1945年3月23日深夜。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等学校の生徒と職員240人が看護要員として動員された。生徒たちは負傷した兵士の看護や死体処理、物資や食料の運搬にも協力させられた。戦況が悪化する中、日本軍は6月18日に学徒隊に解散命令を下す。結果的に陸軍病院に動員された240人中136人、その他の地域でも91人、合計で227人が亡くなった。

 元学徒隊の島袋淑子さん(95歳)は「生きている限り、戦争は絶対してはいけないということを伝えていきたい」と力強く語る。沖縄はかつて焼け野原だった。今ではその過去を感じさせないほど、木々が生い茂っている。「自然はよみがえってくれたけど、人間の命は戻ってこない」と涙ながらに話す。自分の友人を沖縄戦で亡くし、また今では生存者も減ってきている。戦争の体験者として、特に若い世代に「戦争は絶対ダメ。それだけは伝えていきたい」と語る。

 ひめゆり平和祈念資料館の展示も見た。動員されたのは、自分より年下の女の子たちだった。どれだけ辛く、怖かっただろう。彼女たちの服などの遺留品を見ながら、目を向けられないほど苦しくなった。また展示を見て気になったのは、多くの人の死をもたらした戦争の責任についてだ。戦争を起こしたのは誰なのか。なぜ彼女たちが犠牲にならなければいけなかったのか。「なぜこの子たちが亡くならなければならなかったのだろう」と考える度、そのことが思い浮かぶ。体験者の方がおっしゃるように「二度と戦争をしない」ためには、被害の事実を知ることに加えて、戦争責任の所在についても考えることが必要ではないだろうか。

Writer: Juhee Pak
Video Editor: Iroha Okuhara

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